(カテゴリ:専任・S村 )
閲覧ありがとうございます! 専任講師のS村です。
今回も、歴史の中から生まれた言葉をご紹介します。
本日の言葉は「天王山(てんのうざん)」
意味は「勝敗や運命などの重要な分かれ目」というもの。
「この試合が天王山だ」などと使われます。
「天王山」の語源
天王山は現在の京都府にある山です。
ここは淀川という大きな川の分岐点であり、交通の要所でもありました。
日本史上の戦いでも、かなり重要な場所だとされていたようです。
時は安土桃山時代。
1582年、天下統一を目の前にした織田信長は、家臣の明智光秀に倒されてしまいました。
本能寺の変です。
この時、信長の家臣たちは地方の有力大名と戦っている最中。
光秀は彼らが、復讐をしに戻ってくると考えていました。
ただし、自分のいる京都まで来るのには時間がかかるはず。
そこで光秀は、親しくしていた武将たちに手紙を出し、「自分に味方してほしい」と訴えたのでした。
ところが。
いわば裏切り者の光秀に、味方をする武将はほとんどいません。
そこに、中国地方の戦国大名・毛利氏と戦っているはずの羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が、京都に戻ってきているとの情報が入ります。
本能寺の変から10日ほどなのに、もう京都に到着するというのです。
光秀はこの知らせに慌ててしまいます。
そして、準備不足ではありましたが、戦いの準備を本格的に始めます。
秀吉は、自分の軍に加えて様々な武将を味方につけ、27000人以上の兵を集めることに成功しました。
(一説には40000人ともいわれています)
一方、準備不足と味方の不足に見舞われた光秀は、完全に出遅れてしまいます。
兵の数も16000人ほど。
両者は、淀川をはさんで戦いを始めます。
戦いが始まって約1時間後、光秀軍のすきを狙って、秀吉軍は天王山の東側から攻撃を仕掛けました。
これが決め手となり、光秀は敗北。
彼は逃げる途中、落ち武者狩りに遭い、命を落とします。
勝利した秀吉は、のちに天下統一を成し遂げるのでした。
天王山での攻撃で勝った秀吉と、それによって負けた光秀。
その後の2人の運命が大きく分かれたことから、「天王山」という言葉が誕生しました。
「天王山」は近くに来ている
さて、学習の話。
来年度、勉強面での初めの「天王山」はどこでしょう?
それはズバリ、「夏休み前の中間・定期テスト」です。
夏休み前の中間・定期テストがなぜ大事なのか。
その理由を話す前に、北海道の公立中学校の成績について説明しておきましょう。
北海道の公立中学では、
教科ごとに「関心意欲態度」や「資料の読み取り」など『観点』が用意されており、学期末にはA~C(場合によって◎~印なし)の『評価』が下されます。
この『観点』別につけられた『評価』によって、1~5の『評定』が下されます。
※ただし、『評価』がすべてAなのに『評定』が4、という場合もあります。この時は、三者面談などで先生が説明してくれると思います。
例:社会の『観点』は4つ
→それぞれの『評価』がAABB
→『評定』は4
さらに、年度末の『評定』は、受験の合否に関わる『内申点』の計算に使われます。
受験を控える3年生であれば、
1学年末の『評定』×2
+
2学年末の『評定』×2
+
3年生の現時点での『評定』×3
の計算で出てきた数字が『内申点』となり、受験する高校を決める基準や、受験でとらなければならない点数の目安、さらには、高校の合格・不合格の決め手となるのです。
では、学年末の『評定』はどうやって出すのかというと、それぞれの学期の『評定』そして『評価』を総合し計算して出します。
つまり、3学期の『評価』が良くても、学年末『評定』が良くなるとは限らないのです。
さて、話を戻しましょう。
初めの学期の中間・期末テストで失敗してしまうと、2学期でかなり頑張らなければ学年末の『評定』は悪くなってしまいます。
学年末の『評定』が悪くなるということは、その分『内申点』が低くなることにつながります。
『内申点』が低くなるということは、行きたい高校に挑戦するできなくなる、受験勉強に余裕がなくなる、そして最悪、不合格になってしまうということになりかねません。
早め早めの行動が有利に動く
皆さんの今後の進路を考えた時、「はじめの中間・期末テスト」こそが、まさに「天王山」となるのです。
秀吉のように、早め早めに行動しておくのがおすすめです。
札幌 家庭教師シニア 専任講師 S村