(カテゴリ:専任・S村 )
本日2月25日に起きた歴史上の出来事は、天武天皇による「律令撰修(りつりょうせんしゅう)の詔勅」です!
律令とは、今の刑法にあたる「律」と、民放などにあたる「令」を合わせたもので、その国における「法律」に当たるものだと考えてください。
大化の改新から続いていた、「中央集権国家(天皇に権力が集中する国家)をつくろう!」という一大プロジェクトが進んでいた日本。壬申の乱で勝利した天武天皇は本格的に国づくりを進めようと、681(天武10)年2月25日、日本独自の律令を定める命令を出しました。これが「律令撰修の詔勅」です。
しかし、天武天皇はそのあとに死去し、後を継ぐ予定だった草壁皇子(くさかべのみこ)も急死するというとんでもないアクシデントが発生。国内の動揺を抑え、天武天皇の遺志を継ぐ意思表示をするために、急ごしらえの律令である「飛鳥浄御原令(あすかきよみはられい)」が発表されました(どのくらい急ごしらえかというと、律令と言っておきながら「律」がないほど)。
本格的な律令は、奈良時代に入る9年前、701年の「大宝律令」まで完成を待たねばなりませんでした。