(カテゴリ:専任・S村 )
閲覧ありがとうございます! 専任講師のS村です。
今回も、歴史の中から生まれた言葉をご紹介します。
今回取り上げる言葉は、「明鏡止水(めいきょうしすい)」。
意味は、「心にわだかまりがなく、ありのままに物事をとらえる心のこと。また、落ち着いた心持ちのこと」というもの。
「明鏡止水」の由来
戦国時代の中国に、荘子という思想家がいました。
道教を作った人として、倫理などの授業で出てくる人ですね!
彼の著書の中で示されたエピソードが元になって、明鏡止水という言葉は生まれました。
まず、「明鏡」。
古代、共通の先生のもとで勉強する2人の生徒がいました。
1人は、子産(しさん)。政治を行う身分の高い立場であった彼は、いつも自分の高い身分を自慢していました。
もう1人は、申徒嘉(しんとか)。彼は元犯罪者で、罰を受けたために片足を失った人物でした。
子産は、自分よりも身分の低い申徒嘉と一緒に勉強することを嫌がりました。
しかし申徒嘉は、「同じ先生に習う以上は、自分と子産の関係は対等である」と考えていました。
そこで、子産に対して「まっさらな鏡は綺麗だが、余計なものが付着している鏡は汚い」という内容のことを言いました。申徒嘉は、「付着している余計なもの」を子産の心にたとえたのです。つまり、「外見や地位で人を見極めるのは、やましいことである」という指摘がこめられています。
このエピソードから、「邪念が一切なく、心が澄み渡っていること」を表す「明鏡」という言葉が生まれました。
次に、「止水」。
古代、王駘(おうたい)という人物がいました。彼はかつて罰を受け、片足がありません。
この時代、何かしらの刑を受けた人は、周囲から「身分の低い人」とみなされてしました。しかし、王駘には大勢の弟子がいたのです。
これを知った孔子の弟子は、孔子に「なぜ王駘は多くの人に慕われるのでしょう。」と問いました。
すると、孔子は「流れが止まっている水は、人を引き付けて安らかな気持ちにさせる」という内容のことをいいました。このエピソードが由来となって、「止水」は「静かで穏やかな様子」を指すようになったのです。
以上の2つのエピソードが元になって明鏡止水という言葉が生まれました。
心を静めて試験に臨むには、普段の積み重ねが必要
さて、学習の話。
皆さんは、試験の時に緊張するタイプですか?
緊張というものは悪いものではありませんが、ときに焦りを生み出してしまうものです。
それでも中には、明鏡止水のごとく、心を落ち着かせて試験に臨む人がいます。
それはどのような人なのか。
ズバリ、普段から勉強の積み重ねを重ねている人です。
勉強を積み重ねることによって、自分に自信がつき、その自信が揺らがない心の支えとなっているのです。
実際、S村が担当している生徒さんでも、焦ってミスをしてしまった教科はあまり勉強していないことが多く、逆に焦らずに望むことができた教科は十分に勉強できていたというパターンが多く見受けられます。
普段からの積み重ねこそが、明鏡止水の心を生み出し、試験での良い点に結びつく。
このことをよく覚えておいてもらいたいと思います。
㈱シニア 札幌家庭教師派遣センター 専任講師 S村