家庭教師シニア本部 スタッフからのメッセージ

偉人伝 Vol.1「相沢忠洋」

(カテゴリ:専任・S村

日本の時代区分は、旧石器時代から始まります。

縄文でも弥生でもありません。

歴史の世界では、今や当たり前のことです。

 

しかし、「日本の旧石器時代」が、戦後になって発見されたものであることはあまり知られていないでしょう。

当時の考古学者たちは、日本の歴史の出発点は、「関東ローム層」という地層が形成された縄文時代だと考えていたといいます。

学者が言うのだから、当然、日本中の人たちもそう思っていたわけで。

 

しかし一人の男が、その常識をひっくり返しました。

 

その人こそ、今回ご紹介する偉人、相沢忠洋(あいざわ ただひろ)です。

 

「熱意」と「継続力」

彼の仕事は学者ではなく行商人。朝と夕方に納豆を売り歩いていました。

その生き帰りで、ひたすら関東ローム層のあたりを歩いて調べ、地層から出ている土器のかけらなどを集め、遺跡の発見を目指す……そんな生活を送っていたようです。

 

彼の凄さは、その「熱意」と「継続力」にあります。

納豆の行商人になったのは、時間に束縛されず、好きな考古学にとことん打ち込むため。

人に小ばかにされても、彼は日々の生活を考古学に捧げました。

行商人になってからは、関東ローム層を注意深く観察しながら、何か新しい発見はないかを探す。

毎日、毎日。

 

実力で学界の評価を変えた

1946(昭和21)年のある日、相沢は地層の中から、長さ3㎝、幅1㎝の尖頭器を発見します。

尖頭器とは旧石器時代、槍の先に装着し、武器などに使用されました。丁寧に加工されているのが特徴的です。

 

地層、いわば土の壁からそれを探し出しただけでも凄いのですが、相沢は変わらず調査を続けました。

 

そして、1949(昭和24)年7月、相沢は、日本史に残る大発見をします。

完全な形での尖頭器を、彼一人で探し当てたのです。

 

この後、彼が調査していた一帯は岩宿遺跡と呼ばれ、発掘調査が行われました。

そこからは旧石器時代の石器が数多く出土し、「日本の旧石器時代」があったことを示す形となりました。

 

この後、考古学者たちからは「納豆商人の発見なんて」といった冷たい見方がありましたが、そんな批判はどこ吹く風、彼は持ち前の熱意と継続力によって、次々と「日本の旧石器時代」の遺跡を発見していきます。

そのうちに、批判もやみ、相沢のやったことは評価されるようになっていきました。

 

 

 

その生涯を考古学に捧げた男、相沢忠洋。

その姿は、目標に向かって勉強を積み重ねる皆さんにとって、一つの理想形なのかもしれません。

 

 

 

札幌 家庭教師シニア 専任講師 S村