(カテゴリ:専任・S村 )
閲覧ありがとうございます! 専任講師のS村です。
今回も、歴史の中から生まれた言葉をご紹介します。
今回取り上げる言葉は、「弘法にも筆の誤り(こうぼうにもふでのあやまり)」。
意味は、「その道に通じた人でも、時には失敗をすることがある」というもの。
失敗は誰にもあるけれど、大事なのは…?
弘法にも筆の誤りの由来
時は平安時代。弘法大師(空海)というお坊さんがいました。
中学校だと、真言宗を開いた人物として習うことでしょう。
もう一人、同じ密教系の天台宗を開いた最澄というお坊さんもいますので、こんがらがらないよう注意しましょうね。
話はそれましたが、その弘法大師、書の名人としてかなりの有名人でもありました。
ある時、天皇が彼に「應天門(おうてんもん)に額を掲げたいので、その字を書いてほしい」とオファーします。
弘法大師は要望通り「應天門」と書き、天皇の配下がそれを門に掲げました。
その時、彼は気づきます。
「あっ、点が一つ足りない!」
彼の書いた應天門の「應」の字は、一画目がなかったのです。
しかしそこは弘法大師、斬新なやり方でフォローします。
原典の言葉を借りると「驚きて筆を投げて点を付けつ。」
つまりは、「びっくりして筆を投げ、一画目の点をつけた」ということですね。
集まっていた観衆もこれには感動したといいます。
このエピソードが由来となり、「その道に通じた人でも、時には失敗をすることがある」と言う意味の弘法にも筆の誤りという言葉が生まれました。
失敗なんて誰にでもある
さて、学習の話。
いや、学習だけではないのですが、皆さんも何かに失敗したこと、ありますよね?
大きな失敗、小さな失敗、程度は様々ですが、経験したことがないという人はいないと思います。
失敗という事は、弘法大師のような有名な歴史上の人物でもあることなのです。
大事なのは、そこからどうやって立ち直るか、どのようにして次の失敗を防ぐのか、ということ。
かつて孔子はこういった
S村のブログでも登場した中国の思想家・孔子。
彼は失敗について、こう述べています。
「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」
現代語としては、「失敗は仕方ないが、それを直さないというのが本当の失敗だ」と訳すのが妥当でしょうか。
つまりは、失敗から何かを学んで、次の失敗を起こさなないために行動するのが大切であると述べたのです。
勉強において、テストで悪い点を取ってしまった、よくない評価をつけられてしまった。
それは失敗であり、そして過ぎてしまったことです。
そこからどうやって「次に悪い点を取らないようにするべきか」「良い評価を取るようにすべきなのか」、その方法を考えなければ、同じ失敗を繰り返すだけとなってしまいます。
それでは、全く成長することができません。
失敗を糧にする。
皆さんが勉強を通して成長するためには、この考え方が必要不可欠であると言えるでしょう。
段々と暖かくなってきましたね!
油断せずに、コロナ予防を心がけましょう!
㈱シニア 札幌家庭教師派遣センター 専任講師 S村