(カテゴリ:専任・S村 )
閲覧ありがとうございます! 専任講師のS村です。
今回も歴史上の偉人を紹介してまいりますよ!
今回ご紹介するのは、「北里柴三郎(きたざと しばさぶろう)」。
日本細菌学の父と呼ばれ、破傷風菌やペスト菌を発見した日本医学会の伝説的存在です。
次の千円札の肖像画になることが決定していますね!
彼の生涯から見える勉強の極意は…?
生誕~予防医学に目覚めるまで
北里柴三郎は現在の熊本県の庄屋の家に生まれました。
初めは軍人を目指していた柴三郎ですが、18歳で入学した熊本医学校(現在の熊本大学医学部)でオランダ人医師マンスフェルトの指導を受けます。これが、彼の進路を決定づける大きな出会いでした。
短期間でオランダ語を身に付けた柴三郎は、マンスフェルトの通訳を務めるほどに至りました。
その後、東京医学校(現在の東京大学医学部)に進学した柴三郎は、「医者の使命は病気を予防することにある」と確信、その生涯を予防医学に捧げることを決意します。
ベルリン留学で大成果を残す
東京医学校卒業後、内務省衛生局に勤めていた柴三郎は、上司の計らいもあり1885年からドイツのベルリン大学に留学。そこで、病原微生物学の第一人者、コッホと出会います。彼らはとても仲良くなり、柴三郎はコッホに師事して研究に励みます。
そして、世界で初めて破傷風菌(強力な神経毒素を産生し、中枢神経を侵し命に関わる症状を引き起こす菌)だけを取り出す純粋培養に、そして破傷風菌の抗毒素の発見に成功、世界中の研究者たちを驚かせました。
帰国後の苦難
柴三郎が帰国した後、さぞいろいろな研究機関が彼を欲しただろうと思われますが、実際はそうではありませんでした。
母校の東京医学校も、彼の受け入れを拒否します。
これには、ドイツ留学中のある騒動がありました。
柴三郎をドイツに留学させた上司の研究内容を、柴三郎が非難したのです。
結果的には、柴三郎側の主張が正しいことが証明されるのですが、上司が彼のことを「恩知らず」といってしまったのです。
これにより、柴三郎を受け入れる研究機関がほぼなくなってしまったのでした。
そんな様子を、静かに見守っていた男が一人。
その名を、福沢諭吉といいました。
福沢は柴三郎の実績を評価し、そして彼を受け入れる期間がないことを深く憂いました。
そこで彼は柴三郎のために全面協力し、資金を集め「私立伝染病研究所」を作りました、柴三郎はその初代所長となります。
研究所では主に伝染病予防と細菌学の研究が行われました。
ペスト菌の発見
そんな中、柴三郎はまたも大きな発見をします。ペストが流行していた香港に出向き調査をしていたところ、ペスト菌を発見したのです。
ペストとは、発症すると主に高熱が生じ、治療しないでおくとかなりの確率で死亡してしまう恐ろしい病。
また、肌が黒ずんだ形で亡くなってしまうことから、「黒死病」と呼ばれ恐れられました。
ヨーロッパで大規模なパンデミックを起こしてきたこの病気の菌を、柴三郎が発見したのです。
彼は世界から大きな賞賛を受けました。
晩年の柴三郎
その後、柴三郎は私立の北里研究所を創立、そこで新たに、狂犬病、インフルエンザ、赤痢、発疹チフスなどの血清開発に取り組みました。この研究所からは、赤痢菌を発見した志賀潔(しが きよし)、黄熱病の研究で有名な野口英世(のぐち ひでよ)などが門下生としていました。
そして、恩人の福沢諭吉のために慶應義塾大学部医学科を設立、その他にも様々な団体を創立し、近代日本医学の礎を作っていきました。
1931(昭和6)年6月13日、脳溢血のため死去。
柴三郎の人生から見える「情熱」
柴三郎は、「医者の使命は病気を予防することにある」という信念をもって、その生涯を予防医学に捧げました。
その生涯を支えたのは、人々を病気から救うという「情熱」でした。
その情熱は晩年になるまで、形を変えながらも、冷めることはありませんでした。
学習にも情熱はあります。
「俺は燃えているんだ!!!」というわかりやすいものじゃなくとも、真剣に問題を解く、ミスしたところを解説を読んで理解する、そして類似問題を解いてみる……こうしていくうちに、「集中して学習に向き合う」効果が生まれます。
それこそが、学習における情熱です。これが長く続けば続くほど、成績は伸びますし、志望校合格も近づいてきます。
それでは、学習における情熱が長続きするにはどうすればいいのでしょうか?
それは、「素直になること」です。人からのアドバイス、問題についてきた解説など、あなたの情熱を維持するためのものは世の中にあふれています。これらを、素直に受け止めること。それが、学習における情熱を維持する大切な観点です。
皆さんが柴三郎のように、静かに、それでいて激しく情熱を燃やし、学問に打ち込んでもらいたいと願うばかりです。
熱中症に注意!
水分と塩分補給を欠かさずに行いましょう!
㈱シニア 札幌家庭教師派遣センター 専任講師 S村