家庭教師シニア本部 スタッフからのメッセージ

偉人伝Vol.4「鑑真」

(カテゴリ:専任・S村

閲覧ありがとうございます! 専任講師のS村です。

今回も歴史上の偉人を紹介してまいりますよ!

 

今回ご紹介するのは、「鑑真(がんじん)」

飛鳥~奈良時代に日本に来て、仏教における大事な考え方の「戒律」というものを伝えた人物です。

教科書・資料集に載っている、彼の木造が思い浮かんだ人も多いのではないでしょうか?

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       鑑真から何が学べるでしょう?

 

鑑真は日本に来るきっかけとは?

さて、鑑真という人がどういう人物なのかということを書く前に、そもそもどうして中国の僧である彼が日本に来ることになったのか、そのきっかけをご紹介します。

 

飛鳥~奈良時代、多くの農民が重い税に苦しむ一方、飛鳥時代以降に仏教を保護していた朝廷は、僧の税を免除していました。

農民は税から逃れるために「自分は僧だ」と言い、税から逃れようとします。

天皇を中心にした朝廷は、自分たちが仏教を保護する、と言い始めた以上、強制的に農民の身分へと戻すわけにもいきません。

そしてだんだんと、「これだと集まる税の量が減るだけだ」と頭を抱えるようになっていきます。

加えて、農民から僧になった者たちは仏教を学ばず、社会はどんどんと乱れていきました。

 

一方、唐の僧は「戒律(かいりつ)」という「仏教の約束事」を絶対に守っていました。

また、「授戒(じゅかい)」という、「たくさんある戒律をすべて守ります、と宣言する儀式を経て初めて僧になれるシステム」を取っていました。

日本も「戒律」と「授戒」を導入しようとしますが、そもそもそれらの正しい知識などを持っている僧がいなかったのです。

 

そこで朝廷は、栄叡(ようえい)普照(ふしょう)という二人の僧に「唐の国に渡り、戒律や、授戒の作法を知る名のある僧を連れてこい」と命じました。

 

この命令こそが、鑑真が日本に来るきっかけなのです。

 

鑑真、決断す。

栄叡と普照は命がけで唐へ渡り、さまざまな名僧にオファーをかけましたが、答えはノー。

気が付けば9年の歳月が経っていました。

絶望の中、2人はある人の話を聞きます。その人は、仏の道を究め、数えきれない人に授戒を行い、貧民や病人の救済などに力を注ぎ、一般の人々にも慕われている……。

その人こそ、鑑真でした。

 

2人は鑑真に会い、彼の弟子たちの中から優秀な人に日本へ来てほしいと一生懸命に頼み込みました。

その場にいた弟子たちは「日本へ行くのは危ない旅になる」と命の危険を感じ、名乗り出る人はいません。

ですが鑑真は、日本から来た2人の僧の熱意に心動かされ、決断します。

「私が行きます!」

この宣言に弟子たちは驚き、止めようとするものもあらわれましたが、鑑真の決意は変わりません。

そのうち、かれらも師である鑑真の強い意志に動かされ、ともに日本に行く決意を固める弟子が現れました。

 

こうして、「日本に戒律、授戒の作法を伝える」という果てしないミッションが始まったのでした。

 

海の苦労だけではなく、それ以外の大変さもあった

さて、皆さんは鑑真が日本に来るまでに苦労したこととして、何を挙げるでしょうか?

 

失明したこと?

悪天候で船が流されたこと?

 

それらも間違いないでしょう。

しかし、それ以外にも大変なことがありました。

 

例えば、当時の唐の皇帝・玄宗(げんそう)が邪魔をしてきたこと。

例えば、弟子に裏切られ栄叡と普照が牢屋に入れられてしまったこと。

 

様々な困難が、鑑真たちに襲い掛かってきました。

ついてきた弟子も一人、また一人と脱退していきます。

 

そして、5回目のトライ。

これも暴風雨であえなく失敗し、ベトナム方面に流されてしまいました。

この時に、疲労や熱帯の高温により、栄叡が亡くなってしまいます。

普照、そして鑑真はその死をひどく悲しみました。

 

鑑真、ついに日本の土を踏む

753年、鑑真65歳。現代の日本だともう定年退職の年齢です。

そんな年にやってきたのが、日本からの遣唐使船!

これに乗り、鑑真と普照は無事に日本にたどり着きました。

その後平城京に入り、鑑真は仏教に関わる政治のトップ「大僧都(だいそうず)」に任命され、当初の目的通り戒律を広め、たくさんの人に授戒を授けました。

これで、生活が苦しいからといった理由だけで僧になる人は減り、戒律を守る僧が誕生することとなりました。

 

しかし、鑑真の目的は朝廷の目的とは違っていました。

鑑真は、戒律を守る僧をたくさん作ることを目的としていたのに対し、朝廷は農民が僧になるのを防ぎ、彼らからどういう状況でも税を取ることを目的としていたのです。

結局、鑑真は朝廷から大僧都の位を取られ、居住していた東大寺からも追放されてしまいました。

 

鑑真、その後。

肩書と住むところを無くした鑑真。しかし、彼のこれまでの功績を知っている人が、土地を譲ってくれました。

彼はその土地に、「唐招提寺」というお寺を建てます。

このお寺は、戒律を学ぶ人たちのための修行の場でした。

非公認ですから、ここで鑑真から授戒を授かったとしても、正式な僧ではありません。

それでも、彼の人柄がそうさせたのでしょうか、次々と子の寺にやってきました。

また鑑真は、飢えた人や孤児などを救う活動も合わせて行いました。

 

やるといったからには、最後までやる

鑑真は、決断したことを最後までやり遂げました。

その粘り強さは、勉強、特に自己学習に生かせるのではないでしょうか。

 

自分での勉強が苦手、という人は、非常に多いと思います。

しかし勉強というのは、どこかで自らが学ばないと伸びないものです。

鑑真のように、粘り強く、目標を叶えようとして行動し続ける必要があるのです。

 

けれど。

鑑真には同じ目的をもって、同じく粘り強く行動を起こした、栄叡、普照という仲間がいました。

もし彼らがいなければ、鑑真は日本に来ることができなかったと思います。

いわば、集団での粘り強さがあって、目標が達成できたわけです。

 

勉強も同じです。

自分一人で学習する、「自分の粘り強さ」と、学習する仲間やサポートする家庭教師などの「集団の粘り強さ」があって、目標に到達することができるのではないかと、S村は強く思います。

 

 

自分で勉強している際に思い出してみてください。

目標を忘れずに、粘り強く生きた鑑真のことを。

 

 

 

㈱シニア 札幌家庭教師派遣センター 専任講師 S村